久々にエキサイティングな本に出会いました。気功を修練しながら、結局は自分の意識や無意識と向き合う中でいろいろな思想や理論、技法に触れてきましたが、その疑問をまとめたような隠れた(普通に出版されているけど)名作だと思いました。
こんにちは。気功家で整体研究家のワタナベです。
なかなか興味深い本に出会ったので、ぜひご紹介できればと思います。
最近、知る人ぞ知るという感じで浸透してきた催眠療法の心理カウンセラー・大嶋信頼氏の代表先「無意識さんの力で無敵に生きる」です(以下、「本書」)。
半年くらい前に何気なく買ったものの、独特のふわふわした文体に何だか馴染めず、ずっと積ん読状態でしたが、ふと読み始めてこの文体のリズムに合った途端、実はすごい内容であることに気付き、一気に読んでしまいました。
意識は「私自身」でないのか?
「自分自身」を語るときに、だいたい「超意識(ハイアーセルフ)」、「意識(セルフまたはエゴ)」、「無意識(イドまたはインナーセルフ。潜在意識とも)」といった3層モデルで語られます。
管理人が無意識のゴミやノイズを掃除するのに役立つと考えるハワイの伝統的な問題解決法「ホ・オポノポノ」でも、同様の考え方を示しています。
特にいろいろな出来事や体験がゴミとかノイズとなって、無意識に溜まって行き(ホ・オポノポノでは「記憶」といいます)、それが人間の自由自在な生き方を妨げるという考え方は根っこは同じということです。
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・【まとめ】気功の修練にも役立つホ・オポノポノによる潜在意識の浄化
本書を見ると、「意識」は自分でなく、むしろ親の言葉、教育、他者の何気ない一言などでできた「催眠」(平たくいうと、強固な固定観念や思い込み)の束というように読めます。
この考え方に触れたとき、いわゆる哲学の一分野で知られるエドモンド・フッサールの現象学を連想しました。
もともと、西洋思想ではデカルトの「方法序説」にある「我思う、ゆえに我あり」で物事を観察する主体として「我」がいるというのが原点でした。
これに対して現象学の考えでは(管理人の理解ですが)、個々の人間はばらばらの別個の世界観を持っているものの、それでは社会(共同体)が成り立たないため、それぞれの主観が交わる共通部分が「相互主観」(間主観)=「我々が客観的だと思っている領域」であり、これが「意識」であると読めます。
お互いが信じている、あるいは信じ込まされている観念や価値観(ヘミシンクでは、「信念体系」と読んでいるもの)で、複数の人間が受け入れているものが我々が(客観的な)「現実」だと思っているものだというわけです。
たとえば男なら男らしく、とかフォーマルな場ではネクタイを締めるとか「常識」がありますが、個人的にはネクタイと未開人の羽飾りとか伸ばした唇とか、本質的に同じ文化という催眠の表れたものだろうと思っています。
これらの観念は催眠術と同じ
「AはBである」、「●●な時は、△△△するのが大人である」など、私たちの頭の中には大量の観念があります。親の価値観や行動パターンのコピーであったり、学校で「教育」という名前でされる刷り込み(洗脳?)であったり、あるいは他人の何気ない一言が催眠術となってその人を呪縛したり。
また今や身体操作の大家として海外でも活躍している武道家・日野晃先生の昔の名人の技法の研究の中でも「人間は反応する」、「寝ている間でも鼻が痒ければ眠ったまま鼻を掻く作用が人にはある」という言説が繰り返し出てきます。
意識の作為を消して、無意識の自然な働きを引き出し、そのフローに身を任せることが武術の極意だと解釈しています。
さらに、神秘主義の大家・グルジェフの言説の大前提で「人間は基本的に眠った状態である」というのがあります。
たとえば自分の心から湧いてくる言葉や観念を冷静に淡々と観察する「内観(ないかん)」という修練がありますが、そのような各種の修練(または修行)の目標は、この睡眠状態(正確にいうと、「催眠状態」でしょうか)を脱して覚醒することだということです。
これも思い込みや固定観念、ノイズが本来できるはずの自然な生き方をブロックする働きをしていると読めます。
意識のノイズから自由になるには?
ということで、親や社会の教育、印象が強かったりショックを受けた体験などで溜まったノイズが足枷やブロックとなり、自分の生き方を不自由にしたり、不要なストレスの元になったりすることが分かりました。
管理人の理解では、これまで無意識にあるノイズやブロックが我々の自然で自由自在な動きを妨げているものと考えていました。身体の力みや経絡の詰まりは無意識にあるものの影響だと。
ところが本書を読んだ後の理解では、これらのノイズの総体、つまり幼い頃から掛けられてきた催眠が積もり積もった思考や観念が、我々が「意識」とか「自我」と呼んでいるものではないかというように変わりました。
その前提で、我々が無理なく自由自在に、自然に生きるためには、以下の2つの取り組みが必要になると思います。
- 幼い頃から刷り込まれた催眠(観念、思い込み)を解く
- 今自分のいる世界をしっかり把握している潜在意識の叡智とつながる
そのためにどういうアプローチがあるのか。
管理人のこれまでの修練では、小周天の修練で身体に表れているブロックを1つずつ砕いて解消していくという作業は有効ですし、ヘミシンクで変性意識になって自分の潜在意識にアクセスし、そこでガイド(叡智の塊)と出会ってコミュニケーションを取って、そこからアドバイスを得るというのもあります。
本書では、「心よ」と潜在意識に語り掛けることでノイズの層を抜けて、潜在意識からの返答を「閃き」のような形で得る方法(いわゆるチャネリングというものに似ているように思います)や、ある種のキーワードを唱えることで、逆催眠を掛けて自分に掛かっている催眠を打ち消したりポジティブに方向転換させるようなやり方が事例として解説されていました。
大嶋先生のそのまた先生という催眠療法の大家(文中にしきりに「先生」という呼び名で出てきます)の、自然で美しい逆催眠の技術も要所要所で出てきます。頭でいい・悪い、正しい・誤っているを判断してはいけないのでしょうが、どうしても分析的に読みたくなってしまい、管理人の中で消化できないところもまだまだあります。
作為を捨てて何でも知っている「無意識さん」の声を聞く
人は言葉にたやすく反応してしまい、それが「意識」の判断になってしまいます。
それを解除するには、いつもと逆の言葉を使うという方法が紹介されています。
たとえば意識が「もうダメだ」と言っても、「本当かよ」と打ち消しのツッコミを入れます。
またはすぐに人の考えや気持ちをネガティブに捉えて不安になる人は、「人の気持ちも分からない、そして自分の気持ちも分からない」と唱えます。
すぐに判断して白黒つけたがる「意識」のクセを逆手に取って判断させないことで、意識の働きを弱め、無意識のパワーを引き出すということのようです。
結局、気の世界の技法を修練し、気のエネルギーを扱えるようになる目的も、本来の自分になって自由自在に自然に生きる、ということに尽きると思います。
そして「意識」のノイズのような働きを弱めつつ(書いていて気付きましたが、瞑想でいう「雑念」=「意識の働き」といえそうです)、「心よ」と呼びかけることで、無意識と意思疎通を図るわけです。
本書からは、気功とはまた違うアプローチで、それでいて非常に強力な方法を学ぶことができそうです。
「できそうです」、というのは、「無意識」の世界にできるだけ近づけようという意図だと思うのですが、何とも文章がふわふわして、「意識」の世界ですらすらと読み進められないのです(リズムに乗れるとささーっと読み進められるのですが)。
きっと今後も折に触れて何度か読み返し、自分の意識の作為的な働きを弱めていくことで、もっと自分の無意識の持つ広大な知恵とパワーというギフト(贈り物)を受け取れるのではないかと思っています。
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