小周天や気功は、気血の流れを整え、自律神経の働きを適切に保ち、心を静謐(せいひつ)にさせるための有効なメソッドです。しかし、自分の身体のコンディション調整や無理な修練をすると、逆に体調が悪化したり、イライラや落ち込みなど気分に悪影響が出ることがあります。これを「偏差(へんさ)」と言います。今回は偏差の理由とならない方法について考察してみます。
こんにちは。気功家で整体研究家のワタナベです。
小周天ができるようになると、意識は明晰、身体は絶好調、その上直観は冴え、人によっては超能力も開花すると思っている方がいましたが、個人差があります。
不規則で無茶な生活していれば病気になる可能性が上がりますし、脳や身体を酷使すれば疲れます。
そもそも「偏差」とは?
何度も何度も気を回し、パワースポットのような良質の気が豊富にあるところであれば心身が快調にもなりますが、自分の潜在意識にあるゴミとかトラウマ(メンタルブロック)と向き合うことになるので、その過程で逆に気が滅入ったり、自律神経のバランスが乱れて、体調がおかしくなることがあります。
たとえば、何が何でも「悟り」を開くんだ、と一心不乱に座禅に取り組んだ白隠禅師は、すっかり体調を崩してしまいました。
ご本人が書き記すことによると、、、
重い病になり、頭はのぼせ上がり、手足は氷のように冷えきり、心は疲れきって、夜眠ることもできず、幻覚まで生じるようになった
とのことで、自律神経のバランスが崩れて、自律神経失調症か鬱病のような状態になったのではないかと推測しています。
「夜船閑話」(やせんかんな)によると、その後白隠禅師は、病身に鞭打って山中の洞穴に隠遁している白幽仙人という仙道修行者を訪ね、バターのような柔らかい丹薬をイメージし、頭頂部から全身に浸していくヒーリング技法=「軟酥(なんそ)の法」と、自分の心の動きを客観的にもう1人の心の奥の自分で淡々と観察する「内観法」の伝授を受け、回復を果たしたといいます。
いわゆる禅病と呼ばれていますが、これは気功・仙道でいう「偏差」と同じ症状ではないかと考えます。
偏差を防ぐには
実は編集人は、師匠がかなり丁寧にサポートしてくれたのと、あまりムキになってやらずマイペースでやっていたせいか、それほど大きな偏差は経験しないで済みました。
ただし、「これはまずい(=このやり方で無理してやると、調子を崩しそうだという感覚)」という経験は何度もあり、そこから人の修練を指導したりサポートする時は、そのポイントは注意してチェックするようにしていました。
おもに5つのポイントをチェックしていますので、小周天を修練するに当たり、頭の片隅に入れておいていただければと思います。
- リラックスして脱力すること
- 無理しないこと
- 結界を作り、その中で修練をすること
- 自分の心の声を聴くこと
- メンタルブロックを溶かすこと
リラックスして脱力すること
まず真っ先に注意する点、それは気功の修練の前に全身の力をしっかり抜き切って、リラックスすることです。
リラックスしていないと、無駄な力が入り、その部位が凝ったり張ったり、痛くなったりします。
それが積もると、デッドボールに当たったバッターが本人が強気に行こうとしても、無意識に内角球に腰が引けてしまうように、気功の修練をしようとすると、不快を避けるように身体が拒否するようになってしまいます。
そもそも心身を統一するための修練なのに、いきなりスタート地点で身体が拒否し、口の聞けない身体としては眠気、疲労感、意欲の低下などの感覚で抵抗します。
結果として十分に修練に集中できず、身体に不快感だけが残ります。
難しいのは、武息やヨガのファイヤーブレス(火の呼吸)など腹筋を大きく動かして強い呼吸をする時に、無駄な力が入ってしまうことです。
この時はクビや肩など状態の力はいったんぎゅっと力を入れてからスーッと抜いて積極的に脱力させること、また(特に吸気の時に)肛門をぎゅっと締めるので、そこに力みを集中させること、言い換えると、肛門を締めることで、相対的に他の部位は力を入れないようにすることが大切です。
無理しないこと
上のリラックスと同じことですが、力まないことが大切です。
たとえば毎日コンスタントに修練するのは上達の早道ではありますが、毎日2時間修練する、とかちょっと負担が大きい計画を自分に課したりして、かえって気功をやることがストレスになってしまっては本末転倒です。
ストレスの少ない、心身が統一したマインドフルネスな状態を作るのが、修練の目的なのですから。
上達を望むのであれば、睡眠や栄養バランス、またできるだけ自分を大事にした健康的な生活をまず心がけるべきです。
たとえば、いつも睡眠不足、肉など動物性食品ばかり食っていて、過負担と悪玉菌の増加で腸が慢性的に疲れている、なんて状態では、小周天を実現する以前の話です。
健康的な生活の上で、さらに気功の修練をすることで、より快適で充実して、楽しい生活が実現していくわけです。
また胡座や足を組んた半跏趺坐(はんかふざ)または結跏趺坐(けっかふざ)が上手くできず、腰とか背中が痛くなるケースがあります。
座禅であれば警策(きょうさく)で叩かれるところですが、気功では姿勢はわりと本人が快適でやりやすいように、と自由です。
ですから無理に足を組まない、尻の下に2つ折りの座布団を敷く、頭頂部のツボ=百会から上空にワイヤーが出ていて、そのワイヤーを軸に宙に吊られているとイメージするなどで、自然に良い姿勢を保つ方法などありますが、身体が痛くて上手く呼吸できないくらいであれば、ベッドに横になって気の修練をすればいいのです。
結界を作り、その中で修練をすること
落ち着いてできない環境だと、たとえば修練中に家族が物音を立てたり、ひどいと急に部屋に入ってきて(文字通り)気が散ったりします。
その際に頭の丹田(上丹田)や気の収まる場所でもない経絡(気の流れる経路)に気のボールを残したまま修練を中断したりして、アンバランスな状態を残してしまうと、修練を終えても特定の部位に違和感が出たり、頭痛や肩痛になったり、気分が悪くなったりすることがあります。
立派(?)な偏差です。
また無防備に修練をして気のエネルギーをかき集めていると、周囲の邪気(意識のないもの)やら意識を持った邪気の塊(昔からいう「浮遊霊」のようなもの)、さらに意識を持った邪気が集まってできた集団(邪気の暴走族のようなもの)が集まってきて、気を抜くと、飯付きの家があった、ラッキー♡とばかり、へばりついてきます。
こいつがネガティブの気の塊なんで、せっかく気を集めてもエネルギーを吸い取られ、頭は重くなるし、気分は滅入るし、運気は下がるし、ろくなことがありません。
やはり自室でやるにしても出入り厳禁もしくは家族のいない時に、しっかりと霊的な結界も張った上できちんと物理的にも霊的にも防御された、落ち着ける空間で修練をすることが大切です。
結界の張り方は、以下の記事で解説しているので、参考にしてくださいね。
自分の心の声を聴くこと
「毎日、気の修練をしよう」というのは、自分の欲求をルールという形で外界で形にしたものです。
それはそれでしっかり修練するのはいいことですが、心の奥では、今日は別のことがしたい、今は疲れているから修練するより休養したいなど、身体(具体的には自律神経でしょうか)とか、潜在意識(日頃は表層に出ていない子供っぽい部分=ウニヒピリとか)には別の欲求があることがあります。
おもに体調を整える効果のある気功ですが、その目的の1つにすっかり分離している「顕在意識」と「身体&潜在意識」を結び付けて統一体を作るところにあります。
修練をするために座り、呼吸法をする時に、耳を澄ませ、心を鎮めて、自分の身体の頭のてっぺんから手足の先々までスキャンし、何か声なき声がないか注意深く聴いてみるといいでしょう。
そこで「疲れた」とか「今日はイヤだ」という声があれば、無理に続けず、休みを取ったり、食べたいものを食べたりしていいのです。
メンタルブロックを溶かすこと
無駄な力みの場合、邪気の場合、疲労の場合など、まずは偏差の直接的な原因について説明しました。
もう1つ、深層意識にある要因がブレーキや反抗、プロテスト(抗議)として身体や気分の不調として現れる場合があります。
気の修練は、下丹田や気のボールに意識を集中して呼吸法をやるということで、ある意味、瞑想をすることです。
禅でも魔境といいますが、呼吸に集中することで顕在意識の働きを弱め、呼吸法で身体や潜在意識に意識を近付けていくことで、潜在意識に奥深く押し込まれていた心のゴミや歪み、自分の中の否定された部分などが表に出てきます。
それらの心の奥底のネガティブなエネルギーの塊(=メンタルブロック)が出てきて、力みや硬結として気のエネルギーの流れを妨げたり止めたり、またやる気のなさやブルーな気分、頭痛や肩痛などで修練の進捗を妨げる方向で作用します。
偏差の本質
ハワイの伝統的な問題解決法でホ・オポノポノというものがありますが、その世界観では心の奥底に本来の子供の自分(ウニヒピリ)がいるものの、潜在意識には様々なノイズやゴミ、エネルギーの流れを妨げる硬結(まさにメンタルブロック)があり、その声はなかなか表層意識には届きません。
そのため、その届かない思いが問題として表層に出てくるという考え方です(ウニヒピリにはこの世界の事象をプロデュースする力はあるようです)。
狭い意味で捉えると修練の妨げとなるものですが、広い意味で捉えると、偏差もこのような問題の発現と考えられ、自分という人間を完成させていくためのイベントの1つです。
そして、このような問題を解決・解消することがよりよく生きるための重要な過程であり、気の修練を進めていく際にも、避けて通れないものです。
ホ・オポノポノの考え方やアプローチは、編集人が気の修練の中で経験し、実感してきたことと合致していて、いろいろ取り入れているので、別途詳しく説明したいと思います。
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